山古志との関わりについて・・・
-
お福酒造の地域性や独自性を生かした酒造りをすることで、地域も活性化することで、共存共栄を図れないかという思いからスタートしました。
- 当時はの山古志は、日本唯一の一郡一村であり、棚田保護や、地域産業である、牛の角突き(無形文化財)、錦鯉、山菜などで、環境及び観光資源は整っており、この資源を酒に生かしたいと熱望していました。
-
1996年、10月、生産農家を探しはじめるも、従来の「こしひかり米」の優位性が大きく、なかなか賛同をえられませんでしたが、山古志の農協や生産農家、酒販店の協力を得て、まずは1者の生産農家の方から約9反の提供を頂くことができました。
-
1996年 12月、山古志の商標登録申請します。
-
1997年 3月 当時新潟県の推奨酒造好適米であった、「一本〆」の作付けを開始しました。
圃場は、標高400mの山古志種須原地区、川上卓右衛門さんの圃場9反からスタートしました。
-
初年度(1997年10月)収穫量 47俵により、山古志純米吟醸 720ml、約3000本を、醸造します。
-
1998年から生産農家は3名に拡大、約100俵の収穫を得るようにりました。
-
以降、酒米造り体験ツアーや物産展などに積極的に出店し、「山古志」の豊富な自然環境とともにアピールを重ねてきました。
-
2004年10月24日 新潟県中越大震災により、当社醸造蔵、精米工場倒壊とともに、山古志の棚田も壊滅状態に陥ります。
-
2004年収穫分100俵は、栃尾倉庫に移動されていたため、無事であったものの、醸造場所が無く、翌年2月まで醸造は不可能となりました。
-
倒壊した蔵をつっかえ棒やトタン板などで修理し、安全確認後翌年2月より醸造を開始。同年4月に瓶詰可能となり新酒として出荷を開始しました。
-
2005年度から、生産農家は、仮設住宅から、被害の少なかった圃場の一部に通い、約50俵の収穫にこぎつけました。
-
2007年2月に山古志酒米生産者協議会を発足し、生産農家は15名となりました。
-
2007年度、山古志の棚田がほぼ修復されたことを契機に、約400俵の米を確保するまでに至り、同年12月、新仕込み蔵も完成し、生産農家とともに醸造体制を整え、現在に至ります。